お盆・暑中見舞い・土用
お盆(盂蘭盆会)
■先祖の霊を迎えて供養
お盆は7月15日を中心とする先祖供養の仏教行事で、正月とともに重要視され、さまざまな風習やしきたりが今も受け継がれています。現在では、正月は神事を中心に、お盆は仏事を中心に行われています。
お盆は仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)を略したもので、語源は梵語の「ウランバナ」で、地獄の責め苦から救う,という意味があります。餓鬼道に堕
(お)ちて苦しんでいる弟子の母を、お釈迦さまが供養して救うことができたという故事が始まりとされています。
お寺では施餓鬼(せがき)供養をしますが、家庭では、先祖の霊が帰ってくる日として、さまざまな行事を行います。
■盆棚を作り、迎え火をたく
お盆の期間は地方によってさまざまで、新暦、旧暦、月おくれとするところがあり、また7月1日からや7日から準備を始めるところもあります。一般的には、7月13日に祖霊を迎え、16日に送り出すのが普通です。現在では、新暦8月15日(月遅れ盆)をお盆とするところが多くなっています。
盆迎えの13日の朝は、盆棚を作ります。昔は天井から板をなわでつったり、青竹で棚を作ったりしましたが、現在では、仏壇の前に小机を置き、すのこか真こもを敷きます。
仏壇から盆棚へ位牌を移し、仏壇をきれいに掃除し、盆の間は扉を閉めておきます。盆棚には、季節の野菜や果物、水、白玉だんご、そうめんなどを供え、ご先祖の乗り物になる、きゅうりやなすに、割り箸で足をつけて、馬や牛の形にしたものを並べます。供え物は、餓鬼道に堕(お)ちた人を救うためなので、多ければ多いほどよいわけです。
13日の夕方までに、墓所が近ければ墓参をすませ、夕方になったら迎え火をたきます。祖先の霊が道に迷わないように、門や玄関の前で、おがらと呼ばれる麻の茎を井げたに組んで燃やします。このとき、きゅうりの馬やなすの牛をそばに供えますが、迎え火のときは牛馬を家の中に向け、送り火のときは極楽へ戻るように外側に向けます。
盆ぢょうちんを軒先につるすのも、霊にわが家を知らせる目印ですが、迎え火をたく風習も、都会では最近、できにくくなりました。ロウソクに灯をともして明るくし、霊をお迎えするだけでもよいでしょう。

■供え物と棚経
お盆の間は毎日3回、水、お茶、ごはんの最初のものを供え、精進料理を盛大に供えます。餓鬼道に堕ちた仏たちにもひもじい思いをさせないようにと、その分たくさん供えるわけです。この間、家族の食事も本来は精進料理です。
新盆にあたるときや重要な回忌の年には、僧侶を招いて読経をしてもらいます。これを「棚経(たなぎょう)」といいます。棚経がすんだら茶菓でもてなし、お布施を包んで渡します。金額は家によってまちまちですが、わからないときは、年長者に尋ねるとよいでしょう。
■送り火と精霊流し
16日の夜、迎え火をたいた同じ場所で送り火をし、霊を送ります。盆棚の飾り物や供物は、盆舟に乗せ、明かりをともし、川や海に流しましたが、現在では一部の地方以外、行われていません。
暑中見舞い
■立秋の前日までに出す
暑中とは、二十四節気の中の「大暑」にあたる期間のことで、7月20日ごろから8月8日ごろの立秋の前日までをさします。
ですから、暑中見舞いもこの間に先方に着くように出します。その期間が過ぎたら、「残暑見舞い」として出すのが正式です。
暑中見舞い状を書くのは、いちばん暑い時期に、しのぎにくい夏の暮らしを見舞い、日ごろのご無沙汰をわびる意味があります。現在では、官製はがきや、印刷した暑中見舞いのはがきも市販されていますが、その場合でも、必ず自筆で、相手への思いやりがしのばれる言葉を添えるようにしましょう。
また、暑中見舞いのかわりに旅先から絵はがきや名産品などを送るのも、心を伝えるよい方法です。
土用
■丑の日にはうなぎを食べる
「土用」とは本来、立春、立夏、立秋、立冬の前18日間をいいますが、今では立秋の前だけを土用と呼ぶのが普通です。この期間は、ちょうど大暑の少し前から終わりまでの「暑中」にあたります。
土用の最初の日を土用の入りといい、だいたい7月20日ごろになります。この土用の間の丑(うし)の日は「うの字」がつくものを食べる習慣があります。うり、うどん、梅干し、都会ではうなぎと、地域によってさまざまですが、いずれも夏の疲労をとり、夏やせを防ぐというのが目的のようです。
土用の期間はまた、長くじめじめした梅雨の季節が終わったあとでもあり、湿気をとり除き、衣類などの虫干しをするため「土用干し」をします。
何日か晴天のつづいたあとの晴れた日にするのがよいでしょう。また、その年漬けた梅干しの土用干しも、このとき行います。